天正遣欧少年使節、伊東マンショの像【宮崎】

宮崎県

天正遣欧少年使節の伊東マンショをご存知ですか?私は彼の人生を思うと歴史の光と影を感じます。歴史好きの人は彼の名字から九州・宮崎の武将、伊東 義祐を思い出す方もいると思います。

天正遣欧少年使節の伊東マンショ

伊東マンショは伊東 義祐の孫にあたります。父は伊東祐青、母は町上(伊東義祐の娘)。その時代、伊東家と島津家は南九州で惨烈な戦いを繰り返していました。島津家の侵攻により、父の伊東祐青はマンショが8歳頃亡くなっています。彼の母は彼をヨーロッパに送る時にはとても心配だったでしょうね。1582年(天正10年)天正遣欧少年使節。千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノと一緒に海を渡ります。

しかし彼は苦難の中それでもフェリペ2世、ローマ教皇のグレゴリウス13世、日本に帰ってからは豊臣秀吉にも謁見しています。スペインの王宮やバチカン宮殿、京の聚楽第を彼はどの様にみたのでしょう。10代で栄光の日々を感じたであろうマンショ、しかし帰った日本は少しずつ鎖国に入り、イエズス会の神父、修道士、セミナリヨの友人たちと別れ・・かれらは鎖国により日本から逃亡、もしくは棄教、殉教などでバラバラになっていきました。彼の後半の人生は歴史の影の部分を多く感じた人生だったのではないでしょうか。

2014年に新発見がありました。それまで個人所蔵になっていた、ヴェネツィアで書かれた彼の肖像画(ドメニコ・ティントレット作)の絵が発見されたのです。私も複製だと思いますが、日本の博物館で見た事があります。諸侯が着る服装で写る16歳の伊東マンショ。その絵を見るだけで彼がヨーロッパの人々に大事にされていたのがわかります。16歳の頃の彼の光に包まれた人生が現代の私にも伝わってくるのです。

伊東マンショの像はどこに? 

伊東マンショは現在の宮崎生まれです。肖像画とは別で彼の像が立っている場所が宮崎に2つ、大分に一つあります。宮崎は西都市と日南市。大分県大分市には彫刻家・北村西望作の像があります。

<宮崎県西都市>

「伊東満所像」 宮崎県西都市 都於郡城跡(とのこおりじょう あと)

住所:〒881-0104 宮崎県西都市大字鹿野田

<宮崎県日南市>

「伊東マンショ像」宮崎県日南市 日南駅 駅前広場

住所:〒887-0021 宮崎県日南市中央通1丁目(日南駅前広場)

<大分市>

「伊東ドン・マンショ像」大分県大分市遊歩公園

住所:〒870-0022 大分県大分市大手町3丁目1

すぐ近くにはフランシスコ・ザビエル像もあり、大分府内城の大手門から大分城址公園にも行けます。

彼の人生に興味が出たら、関係した場所を回るのも良いですね。

おすすめ旅・いっしょに飫肥城跡と歴史資料館に

日南駅前 広場の伊東マンショ像から「車で12分」。「もしくは電車で1つ」飫肥駅で徒歩の場所に 飫肥城跡と飫肥城歴史資料館があります。徳川時代には伊東氏の飫肥藩があった場所です。こちらもぜひ一緒に廻って下さい。

・飫肥城跡(おびじょう あと)

住所:〒889-2535 宮崎県日南市飫肥10丁目1

伊東マンショ 経歴と人生

戦国大名である日向伊東氏に生まれ、1582年(天正10年)に天正遣欧少年使節の主席正使として千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノと一緒にマカオ、マラッカ、ゴアを経て、 ポルトガル、スペイン、イタリア各地のカトリック世界を廻る。ポルトガル王、スペイン王(フェリペ2世)、ローマ教皇(グレゴリウス13世)と謁見。日本に帰国後、イエズス会カトリック教会の司祭となる。

本名:伊東祐益

洗礼名:伊東 マンショ

生誕:永禄12年(1569年)ごろ

亡くなった年と年齢: 慶長17年10月21日(1612年11月13日)。43歳ごろ。

~天正遣欧少年使節、伊東マンショの像【宮崎】でした。

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