色んなとこを旅しているとかなりの確率で出会うのが昔の偉人、偉い人の銅像や碑。私は銅像でいうと武将の銅像を見たら気持ち上がるし嬉しいし。武将じゃなく、知らない人だけど昔、その地域の発展や人々の進歩に貢献した人の銅像なら、一緒にある概要やプロフィールも時間をかけて読んだりする。
そして想うことは「沢山の先達さんが頑張ってくれて今の日本があるんだな」という気持ち。銅像に手をあわせる事もある。
よく友達や家族にその「旅」への情熱は何?と言われるけど私の場合「歴史」好きがかなり関係していると感じます。旅×歴史で何倍も旅への興味が上がっている。ある人にはただの銅像、碑でも私にとってはその場所に30分居ても興味が尽きない場所になってしまったりします。その場でスマホでググる事も多いし、写真に撮っておいて帰ってから詳しく調べたり。そしてもっと深く知りたくなり、またその地域に行く・・。(切りが無いループに入る流れ😊)
愛する日本の先輩、祖先の方々・・。
でも西行、芭蕉、与謝野晶子(尊称略)の三人さんには何故か尊敬以外に旅人としてライバル心のような気持ちが湧いてくるのです。
頑張って行った東北(大阪からは遠い)、奈良の山奥、九州の田園の風景の中・・。かなりの確率で西行、芭蕉、与謝野晶子の歌碑があります。
ビックリする私😨
こんなとこまで来たの??
有名な観光地だと芭蕉と晶子の歌碑が並んでいたりします。現在ではない、昔に、飛行機や新幹線も使わずにこんな遠いとこまで来たの?もしや歩きで来たの?
負けた気持ちがマックス(笑)
偉人で歌詠みの方々、普通人で歌も作れない私がそんな気持ちになるのはそもそも不敬なのはわかっているのですが。いきなり山奥で歌碑にぶつかった時の敗北感はかなり大きくて。旅では現代の私の方が有利なのに・・旅でも負けた感が半端ない。
凄いよこの人達(悔しい)
そうした時には暫くその場で落ち込んだあと「歌も詠えないし、庶民だけど、でも旅心では負けないぞ~」と負け惜しみを心の中でつぶやきながらその場を離れます😅
西行、芭蕉、与謝野晶子の中でも特に晶子にはライバル心が出てきます(笑)同じ大阪堺の生まれだし、女性だし、知識人、自由人としても尊敬の晶子。
ある時・・自転車とフェリーで時間をかけて九州の長湯温泉まで行ったのですが、そこにも晶子の歌碑が!
<その時の写真と晶子&鉄幹夫妻の歌碑>
<その時の頑張った私の日程>
家→大阪南港まで<アシスト自転車で30キロ>
大阪から別府までフェリー
別府→大分市まで<アシスト自転車で15キロ>
大分市→長湯温泉<アシスト自転車で33キロ>
あの時は本当にビックリしました✨
悔しい、でも嬉しい。
西行、芭蕉、晶子は尊敬できる旅の先輩だと思っています。
<西行法師>
平安~鎌倉時代の北面武士(院の直属の近衛兵)で出家してお坊さんに。清盛と同じ時代の人。大河「平清盛」では藤木直人さんが西行役をした。私の中では貴公子で男前のイメージ。
・ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ
・嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
<松尾芭蕉>
江戸時代の俳諧師で俳聖と言われる。凄い歩いてるので、忍者とか幕府のスパイで旅をしていたのでは?とか言われている。伊賀の生まれというのがポイントの気がする。
・古池や蛙飛びこむ水の音
・夏草や兵どもが夢の跡
<与謝野晶子>
明治~大正~昭和時代の歌人。「きみしみたもうことなかれ」の歌で有名。この人旦那さんとシベリア鉄道でヨーロッパにも行っている。子供12人!子供の名前がヤバイ(子孫の方々失礼w)大阪府堺市にある「さかい利晶の杜 与謝野晶子記念館」はオススメです。
・やは肌の あつき血汐にふれも見でさびしからずや 道を説く君
・春みじかし 何に不滅の命ぞと ちからある乳を 手にさぐらせぬ
西行、芭蕉、与謝野晶子。「ここにも来たの?!」とつい思っちゃう旅の先輩たちでした。ありがとうございました。