岩宿遺跡、旧石器の遺跡を巡る旅(1)

旧石器時代

群馬県みどり市にある岩宿遺跡。旧石器時代の遺跡を巡る旅なら、一番目は岩宿時代という言葉の元にもなった岩宿遺跡が相応しいと思います。私は群馬県からは遠い関西に住んでいますが、大昔から日本人が住んでいた岩宿の里は私達日本人のふるさとのひとつだと感じています。

岩宿遺跡は旧石器時代の遺跡

岩宿遺跡は旧石器時代の遺跡になります。今から約75年前、発見者の相沢忠洋さんが槍先形尖頭器を見つけた頃は「日本の歴史の始まり」は縄文時代と思われていました。相沢さんが黒曜石(黒耀石)の打製石器を関東ローム層から見つけたのはまだ20代前半。若いし、学歴も地位もないということで、最初は無視され、その後、嘘つきや詐欺師など、事実に反する誹謗、中傷でバッシングされました。

嫉妬もあったんでしょうね。ただ、この頃の話を知ると、嫌なことはあったと思うけど、相沢忠洋さんの若さと考古学への余りある情熱がとても美しいと感じます。私達大人もですが、若い人には特に相沢さんの様に常識と思われている事をブレイクスルーする力を信じて頑張って欲しいと思います。

その後、研究者さん達の研究と発掘作業で全国の遺跡から岩宿遺跡と同じ様に磨製石器、磨製石斧が見つかり、日本では縄文より前、旧石器時代から人々が生活していたことがわかりました。

岩宿時代とは?

岩宿時代とは3万5000年前から2万5000年前といわれています。以前、世界史を勉強すると、旧石器時代はまだ磨製石器が出てこない時代というくくりになっていたと思いますが、日本では3万8000年前ぐらいから3万年前まで日本各地から磨製石器が沢山発掘されています。日本人の祖先が沢山住んで、行き来していた「岩宿時代」って凄いですね。

世界での区分だと旧石器時代は約260万年前から紀元前1万4000年前と言われています。長すぎますね☺旧石器時代のあとヨーロッパは新石器時代となり、日本は新石器時代でなく、縄文時代となります。


磨製石器を見ていると日本の歴史の始まりや日本人のルーツを感じる私です。

⇒ 日本の歴史の始まりは旧石器時代。4万年前?12万年前?いろいろ考えてみる。

日本の教科書でもこれから「岩宿時代」をしっかり教えるようになるでしょう。岩宿遺跡では磨製石器を使い、土器を持たず、狩猟と採集の生活で生きていた人々の様子が見えてきます。

群馬県みどり市にある岩宿遺跡

岩宿遺跡のある群馬県みどり市は赤城山の麓にあって、群馬県では岩宿遺跡の他に安中市の古城遺跡、行沢大竹遺跡、下触牛伏遺跡(二万数千年前の大規模集落遺跡!)などがみつかっています。

赤城山や榛名山の麓で岩宿時代、縄文時代、弥生時代と沢山の人々が狩りをしたり、木の実を拾い集めて生活していたなんて心が踊ります。勿論、氷河時代や火山の噴火。食べ物が見つからなくて移動したり大変な事も沢山あったでしょうが。

群馬県はなぜ旧石器時代の人が住むのに適していた土地だったのでしょうか?ここらへんは資料だけじゃなく、旅をして、遺跡や博物館を巡ってぜひ感じたいところですね。

岩宿遺跡への行き方

旧石器の遺跡を巡る旅、岩宿遺跡への行き方ですが、JRでは岩宿駅から徒歩で約25分となります。

・JR両毛線 「岩宿駅」から徒歩で約25分
・わたらせ渓谷鉄道 「相老駅」から徒歩で約35分
・東武線・上毛電鉄「赤城駅」徒歩で約50分

また駅からタクシー、乗り合いバスもあります。乗り合いバスは現在は時刻表がない、バスを呼んでの(デマンドバス)運行のようです。一番近いバス停は「かたくりの湯」です。


岩宿の里、岩宿遺跡の住所は
〒379-2311 群馬県みどり市笠懸町阿左美2403

岩宿遺跡遺構保護観察施設の岩宿ドームの住所は
〒379-2311 群馬県みどり市笠懸町阿左美 2418-1


になります。

 

ハイキングがてら、大昔の人を思いながら、駅から歩くのもいいですね。また岩宿遺跡に興味を持たれた方はぜひ岩宿博物館と相澤忠洋記念館にもぜひ行って下さいね。

旅と歴史☆通信「岩宿遺跡、旧石器の遺跡を巡る旅(1)」でした。ありがとうございました。

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